コロイド偉人館
- Peter Petrovitch von Weimarn
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(1879〜1935)ワイマルン博士
ワイマルンはロシアのコロイド化学者で、ワイマルン則といわれる、「コロイドは物質の普遍的状態である」ことを実験的に見いだした(1906年)ことで有名。
ロシア革命を逃れて、ウラジオストックを経て、東大の池田菊苗教授の好意により日本に亡命した(1921年)。京大、大幸勇吉教授の尽力により、京大講師、さらに大阪工業試験所で膠質化学研究室を主宰することになる(1922年)。ここで若い日本の研究者を育て、自らもライフワーク「分散体学」の研究に励み、日本で約130編の論文を発表した。病気のため、1931年大工試を去り、神戸の自宅で療養したが、入院した上海の病院で死去(1935年)。
遺骨は神戸の外人墓地に眠っている。【北原文雄 記】
- 鮫島實三郎 氏
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(1890〜1973)さめしま じつさぶろう
鮫島實三郎は東京帝国大学理科大学化学科を卒業(1914)して同大学教授(1923-51)となり,混合液体の蒸気圧,木炭や鉱物類などによる気体の収着,油滑性などの研究を行ない,「膠質学に関する研究」で日本学士院賞(1952)を受賞し日本学士院会員(1958)に選ばれた。日本化学会の欧文誌を創刊(1926)し,会長を2回(1935と1955)務め,桜井化学賞(1938)を受賞した。
著書に「物理化学実験法」,「膠質学」など。【中垣正幸 記】
- 三雲次郎 氏
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(1892〜1977)みくも じろう
三雲次郎先生は東京本郷に生まれ、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業後、丸見屋ミツワ化学研究所に入り、20年間「石鹸およびその溶液に関する研究」をされました。その研究に対し、1932年春の工業化学会第35年会で有功賞を受賞されました。
先生は、その後名古屋大学工学部教授に任じられ、工学部長、教養部長を歴任、定年退官後は山梨大学長、名城大学長として大学の管理・運営に尽力されました。1966年勲二等瑞宝章を叙勲されました。【荻野圭三 記】
- 中江大部 氏
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(1895〜1983)なかえ たいぶ
中江大部先生は広島県府中市に生まれ、京都帝国大学工学部工業化学科を卒業後、広島高等工業学校に赴任、翌年教授、1928年から2年間フランスのCollege de Franceに留学。専門は油脂化学で、名著「石鹸製造化学」(内田老鶴圃)を著作された。
終戦後、広島工専校長(旧制)、広島大学工学部長を歴任され、定年退官後は近畿大学呉工学部長、広島経済大学教授として、教育のほか地方産業の発展に貢献された。1960年勲三等旭日中綬章を叙勲された。【荻野圭三 記】
- 玉虫文一 氏
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(1898〜1982)たまむし ぶんいち
仙台生まれ。東京帝国大学理学部化学科卒。片山正夫教授に師事し界面化学の研究開始。1924年武蔵高等学校(旧制)教授。
1927-9年ドイツ・カイザーウイルヘルム研究所に留学。1939年名著「膠質化学」刊行。1949年から東京大学教養学部・東京女子大などを経て、1975年武蔵大学根津化学研究所、名誉所長。一貫して吸着理論・レオロジー・反応速度・化学発光などを研究。部会創設以来の顧問。【井上勝也 記】
- 平田文夫 氏
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(1898〜1968)ひらた ふみお
平田文夫先生は和歌山県田辺市に生まれ、東京帝国大学理学部化学科を卒業後、桐生高等工業学校(旧制)に教授として赴任、1930年から2年間コロイド化学研究のためフランスに留学、J.Duclau教授に師事、帰国後はゼラチンのゾルーゲル転移を中心に研究、その後は金属ゾル、化学鍍金、電池等の研究を行った。著書にデュクロ著「コロイド」(平田文夫、吉岡春之助、共訳、裳華房)、「物理化学大要」(神田共立社)がある。桐生工専校長(旧制)、群馬大学工学部長を歴任後、定年退官。【荻野圭三 記】
- 桂井富之助 氏
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(1902〜2000)かつらい とみのすけ
桂井は東大冶金科を卒業後、理化学研究所に勤務、英語に堪能で、日本化学会欧文誌編集顧問(1969-1981)を勤める。
1929-1931年、1931-1932年と再度、スウェーデン、ウプサラ大学のSvedberry教授の許に私費留学する。先生のライフワークは、「加圧・加熱によるコロイドの生成、状態変化」であった。先生は思考、行動が日本人には珍しく合理的で、本音と建前の一致した人であった。
コロイド・界面化学討論会では何回も特別講演され、ユニークなアイディアと話題で参加者に感銘を与えた。【北原文雄 記】
- 後藤廉平 氏
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(1905〜1995)ごとう れんぺい
京都大学名誉教授 後藤廉平先生は、気体反応、反応速度論、コロイド・界面化学など諸分野の研究に優れた業績を残され、日本化学会桜井賞,勲二等瑞宝章などの栄誉を受けられました。特にコロイド化学の研究に関しては、物理的思考導入の必要性を強く認識されて、戦後の混乱期の中で、赤外・ラマン分光法、誘電解析法、レオロジー、溶液論などの斬新な研究手段を採り入れられ、近代コロイド・界面科学の新しい分野を開拓されました。【竹中亨 記】
- 伊勢村寿三 氏
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(1908〜1997)いせむら としぞう
東京帝国大学理学部化学科を卒業後、高知高等学校教授になり、Lisegang現象の研究を行った。戦時中、京城帝大教授として赴任し、水面上の不溶性および可溶性単分子膜を表面電位などによって調べた。戦後、大阪大学教授に就任し、産業科学研究所では水面上に合成ポリペプチド単分子膜を展開してその構造を研究した。さらにたんぱく質研究所と理学部生物学教室で、たんぱく質溶液にコロイド化学的方法を応用して、たんぱく質分子の大きさと形を研究した。【池田勝一 記】
- 赤松秀雄 氏
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(1910〜1988)あかまつ ひでお
明治43年、長崎県佐世保市で出生。第八高等学校を経て、昭和10年、東京帝国大学理学部化学科を卒業。同学科の大学院生、助手、助教授を経て、昭和26年に教授に就任。東京大学を定年退官(昭和46年)後は、横浜国立大学教授を経て、分子科学研究所初代所長(昭和50-56年)を勤めた。大学院・助手の時代には、鮫島実三郎教授のもとで、ガラス表面への溶質の吸着に関連した研究に従事したが、その後、炭素の研究で大きな業績をあげ、また、有機半導体の研究の開拓者として世界的に著名。
昭和63年に享年77歳で逝去。
受賞:日本化学会賞「炭素および有機半導体の研究」(昭和33年)
日本学士院賞「有機化合物の電気伝導性に関する研究」(昭和40年)
受章:勲二等旭日重光章(昭和56年)【黒田晴雄 記】
- 水渡英二 氏
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(1912〜1995)すいと えいじ
コロイドおよび界面化学部会の初代部会長。京都帝国大学理学部卒。堀場教授のもとでコロイド化学の研究に従事。
粉体化学の新しい研究分野を展開。開発初期の電子顕微鏡をいち早く研究に取り入れ、典型的なコロイド粒子の形態観察を推進した。
金属ゾル粒子の姿を世界で初めて紹介し、コロイド形態学の分野を開拓して日本化学会賞を受賞された。コロイド粒子の結晶学的な側面の研究も進め、金、銀コロイド粒子の結晶格子像の直接観察により、多重双晶などの微細構造を発見。これらの成果は後の超高分解能電子顕微鏡による分子構造の直接観察など、先端的な構造解析手法の進展につながった。【植田夏 記】
- 蓮精 氏
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(1919〜1999)はちす せい
終戦直後人工真珠顔料の開発研究を通じて、コロイド粒子間の相互作用の研究を開始し、平板粒子や針状粒子系には100nmにも及ぶ遠達性引力が存在することを見い出し、これこそD.L.V.O.理論の第二ポテンシャル極小に基ずく現象であることを立証した。さらに、単分散コロイドの典型であるラテックス系を原子(分子)のモデル系と捉え、様々な物理現象(構造形成、相転移、合金構造など)をラテックスをもちいて実証し、現象の理解を深めた。筑波大学名誉教授、平成11年12月80才にて死去。【古澤邦夫 記】
- 中川鶴太郎 氏
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(1919〜1992)なかがわ つるたろう
昭和17年東大理学部化学科卒。鮫島実三郎の門下。東大講師、助教授を経て、昭和35年から北大理学部高分子学科教授。
研究テーマは、納豆などの液体が糸を曳く性質は粘性と弾性の組み合わせによることの解析から発展してレオロジーへと進み、高分子物質を主とするコロイド系の粘弾性に関する多数の論文を発表し、内外から高く評価された。一方、”レオロジーとはなにか”(1956、みすず書房)”レオロジー”(1960、岩波全書)など多くの名著を出版し、日本におけるレオロジー分野の創始と発展に先導的役割を果たした。【福田清成 記】
- 渡辺晶 氏
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(1922〜1980)わたなべ あきら
渡辺晶は京都大学農芸化学科で、ポーラログラフの権威館勇教授の下で電気化学を学んだ。京大の大学院修了後、英国に留学、コロイド化学を学び、当時ケンブリッヂ大学にいたR.H.Ottewillと共著の論文、”AgI分散系の安定性に対する界面活性剤の効果(1961年)は今でも引用されている。
続いて米国クラークソン大学に招かれ、ここで一対の水銀滴下電極を用いてDLVO理論の実験的検証を行った。その後、油・水界面の界面電気現象の研究に移り、電気乳化の現象を発見し、更に電気浸透洗浄の研究もおこなった。京都工芸繊維大学から奈良女子大学の教授になり、奈良で病没した。【北原文雄 記】
- 村松三男 氏
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(1922〜1995)むらまつ みつお
静岡市生まれ。1947年九大(理)卒。コロイド・界面化学にラジオトレーサー法を利用した研究の第一人者。田嶋和夫先生とともに,トリチウム標識界面活性剤とシートシンチレーションカウンターを用いて,ギブズが熱力学的に導いて以来100年の問題であったギブズ吸着等温式の実験的証明と使用の限界を示した。また,LB膜と,水面上単分子膜中の反応を定量的に研究。Marcel Dekker から「Radiotracer Techniques and Applications」,Academic Pressから「吸着に関する本」を出版。1979年と1980年に部会幹事。【岩橋槇夫 記】
- 高橋浩 氏
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(1927〜1983)たかはし ひろし
高橋先生は東京大学理学部化学科において日本のコロイド化学の泰斗であられた鮫島実三郎先生の研究室で非晶質固体炭素の研究により研究者生活をスタートした。その後構造に類似性のある粘土鉱物の研究,さらに多孔性結晶としてのゼオライトの研究に多大の業績を残した。
理学部出身でありながら工学にも多大の興味を示し,1983年に急逝されるまでの15年間を送った東京大学生産技術研究所では実用化研究にも成果を挙げ1980年には複合材料の界面化学の研究で日本化学会技術賞を受賞された。【堤和男 記】
- 目黒謙次郎 氏
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(1927〜1991)めぐろ けんじろう
昭和35年に東京理科大学応用化学科に着任された。 その後、理科大学の将来へのコロイド・界面化学の発展を考えられた先生は、薬学部に近藤保先生、工学部工業化学科に北原文雄先生、更に理工学部工業化学科に荻野圭三先生を次々に迎え入れられ、この分野の全学的な研究体制整えらると同時に、界面化学研究所を設立された。現在、多くの卒業生が、この分野で大いに活躍している。
箱根でのコロイドの国際会議では、実行委員長として大活躍され、海外にも広く先生の名声が知れ渡った。1991年3月1日に先生が亡くなられて、はや9年が経ちます。私たちの心に残る、明るい元気な笑顔を思い出しながら、先生のご冥福をお祈り致します。【上野實 記】
- 中村正男 氏
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(1931〜1989)なかむら まさお
界面活性剤水溶液の動的表面張力に関する基礎的な研究を行った。熱力学、レオロジーから基本的な問題提起をし、その議論に耐えられる厳密な測定値を追い求めた。教育面では、研究のために開発した装置の手引書や解説書を著し、後進を助けた。
東京工芸大学講師、ミズーリ・ローラ大学客員教授を兼任。日本化学会コロイドおよび界面化学部会役員、日本油化学協会界面化学部会会長など在任中、東海大学理学部化学教授在職中の1989年10月に急逝された。【石井淑夫 記】
- 山田晴河 氏
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(1933〜1988)やまだ はるか
山田晴河先生は(1933年東京生)はお茶大化学科を卒業後、東工大で博士号を取得された(60年)。
64年より関西学院大学理学部に勤務された。先生の研究テーマは「赤外ラマン分光法による固体表面の吸着種の構造」であった。
固体表面の吸着現象の研究にレーザーラマン分光法をいち早く導入され、世界で初めて微量吸着種の共鳴ラマンスペクトルの測定に成功された。
又、金属表面上の吸着種の表面増強ラマン散乱の研究においても重要な業績を挙げられた。これらの業績により82年第2回猿橋賞を受賞された。【尾崎幸洋 記】
- 川端康治郎 氏
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(1947〜1991)かわばた やすじろう
大阪市立大学大学院を修了後、通産省工技院東工試(後に化技研、現在の物質研)に入所。1991年8月逝去。享年44歳。主な業績は、(1)世界最高の導電率を示すLB膜及び金属的導電挙動を示すLB膜の作製に成功し、(2)シクロデキストリンにアゾベンゼンを包接したLB膜において可逆的な光異性化を見い出し、(3)アゾベンゼンとTCNQを併せ持つ分子のLB膜からなる新しい光スイッチの作製を行ったことである(川端、日化、1990, (10), 1087参照)。【松本睦良 記】